母乳が出る、軌道にのる方法。完全母乳に2週間で挫折した実話。

産後の手伝いに来ていた実母が、当初お願いしていた滞在期間を短縮して田舎へ帰りました。その時に実母が残していったのが、上記のメール、「ミルク200mlあげました」です。

長女を出産して15日目でした。
私の完全母乳への挑戦は、わずか2週間で幕を閉じたのです。

完全母乳にこだわりすぎた

1人目出産の時、私は母乳にこだわり過ぎていました。

出産した助産院が母乳育児を推進していたこともあり、妊娠中から産後は可能なら完全母乳で育てたいと考えていました。

この助産院、非常に母乳育児にこだわっていました。

忘れもしない、生後2日目の夜。母乳が足りないので、赤ちゃんは全く眠ってくれません。

助産師さんが、深夜に私の部屋に来てくれました。

私:「赤ちゃんが寝てくれず、私も眠れません。ミルクあげたほうがよいかと。。。」

助産師:「ママが眠りたいから、ミルク足したいんですか?

今の私であれば、「はい!そうです、眠りたいんです。ミルクくれ!」
と催促できます。

当時の私にはできなかった。ミルクを足すのが、負けのような気がして。赤ちゃんに悪いような気がして。

下手な授乳方法で乳首から血が!

そもそも、出産直後から母乳の吸わせ方が間違っていました。

正しい授乳方法をご存知ですか?

赤ちゃんが口を大きく開いた時に乳首を口に含ませ(ぎゅっと押し込み)、深く吸わせるのが良い飲ませ方です。

私は、そんなの知らなかったー。

妊娠期間中に頭は出産のことでいっぱい。

陣痛って、どのくらい痛いのか。
会陰切開するのかしないのか。
立会出産するべきか。

産むことで頭がいっぱいで、産後のことは産んでから考えれば良いっしょーって。

そもそも、産後は疲労困憊です。

正しい授乳方法を頭でわかっていても、実行するのは難しいです。

お腹をすかせて泣いている赤ちゃんを見ると、母性本能がはたらくのか、

「はやく母乳をのませて助けたい」

と思ってしまい、乳首の吸わせ方がいまいちであっても、そのまま授乳。

産後の入院期間中は、1秒でも長く横になりたかったので添い乳で授乳していました。横に寝て、爆睡しながら授乳していたのです。

添い乳は、わたしのような授乳ビギナーには適していませんでした。

赤ちゃんも、母乳をチューチュー吸いながら寝てしまい、最初は深く吸っていても、次第に浅くなってしまいます。

浅く吸わせていたことで、乳首に傷ができてしまいました。この傷が痛いのなんの。
治りも悪く、産後3ヶ月くらいまで完治しませんでした。

入院中、ナースに、
「乳首に傷ができて血が出ているんです(ミルクくれ)」
とアピールしても効果はありませんでした。

「乳首から血が出ていても、赤ちゃんには問題ありませんから
と一蹴されておしまい。

えっ、私の痛みは?

妊娠期間中は、妊婦様とあれだけ持ち上げておきながら、産んだら、この赤ちゃんファースト

こんな時、英語ではこう言います。
プリーズ・ペイ・モア・アテンション・トゥ・ミー!
Please pay more attention to me!
(私に、もっと気をつかってください)
※「(赤ちゃんではなく)私に」を強調するために、”me (ミー)”に力をこめましょう。

この記事を妊娠期間中に読まれている方であれば、今のうちから授乳の仕方の予習をしておくと良いですよ。

赤ちゃんを産んでからは授乳の仕方を勉強する時間など全くありません。生まれた瞬間から授乳生活は始まります。オギャー!はい、即ラッチオン、です。

実母との過去の確執が産後に大爆発

産後の5日間の入院中はミルクを一度も足さずに退院しました。

退院と同時に、福島県の実家から実母がサポートに来てくれました。実母は40年以上のキャリアを持つ現役看護師です。しかも、実母は産科で働いた経験があり、数多くの出産にも立ち会っています。

看護師の実母がいるなんて、あー、心強い。と産後のヘルプを依頼したのが、大間違いでした。

私と実母は不仲なのです。

実母は、私が幼少の頃に、ギャンブル(主にパチンコ)に依存しており、家にほとんどいませんでした。

授業参観や部活動の応援にくることも無し。私が小学校6年生の時の謝恩会にも来ませんでした。周囲の友達がお母さんと一緒に座る中、私だけは担任の先生と座りました。切ない気持ちで帰宅後、母に、どうして謝恩会に来られなかったか聞きました。

「(パチンコの)玉が止まらなかったから

子供を産むって不思議です。出産してから、封印していた昔の記憶が鮮明に蘇って、やけに実母が憎くなりました。産後のヘルプで来てくれた実母に当たりちらしました。

20年前の恨みを、今こそ晴らす!

実母が赤ちゃんに勝手に粉ミルクを与えた

私の悪態に耐えられなくなった実母は、当初の滞在予定を前倒しして、滞在1週間で地元の福島へ帰ることになりました。

その時に実母が残していったのが、冒頭の「ミルク200mlあげました」メールです。

実母は、どうせ予定より早く地元に戻って(私に)怒られるんだから、お腹を空かせて可哀想な赤ちゃんにミルクあげてっちゃおーっ、と思ったそうです。

実母が無断で与えたミルクで、私の完全母乳への挑戦は幕を閉じました。

実母が帰ったのと時を同じくして、出産したクリニックからも、赤ちゃんの体重の増加が乏しいため、ミルクを与えるように指導を受けました。

完全母乳にこだわりが無くなり、母乳の不足をミルクで補うことにしました。ミルクを与え始めて、びっくりしましたよ。

赤ちゃんて、お腹空いてないと、こんなに眠るんだって。

生後3ヶ月、母乳がわんさか出る

いったん粉ミルクを与えると、あんなにこだわっていた母乳への執着がなくなりました。母乳とミルクを半々くらいで過ごしました。

生後3ヶ月くらいになると、母乳が信じられないくらいに出るようになりました。その量、ナイアガラの滝のごとし。

私の場合は、次の3点に気をつけたことで、母乳がたくさん出ました。

⑴ 母乳は夜作られる。睡眠時間をしっかりとろう。
母乳は血液でできています。血液成分が作られるのは、眠っている時間帯です。スマホでネットサーフィンしてないで、夜はさっさと寝ましょう。

⑵ ストレスは母乳の敵。ゆっくりとした気持ちで過ごそう。
私の場合、まずは実母の滞在がストレスでした。手伝いにきてもらっておきがながら、母には申し訳ないのですが。これも、すべては実母が私が幼い頃にパチンコ狂だったことが原因です。

それから、乳首の傷もストレスでした。

授乳は本来、女性にとって至福の時間と言われます。私の場合は、傷が痛いので地獄の時間。

吸われると痛いので、授乳の時は、どうしたって身構えてしまいます。

乳首の傷がなければ、授乳はもっと早い時期に軌道に乗ったことでしょう。

声を大にして言います。
赤ちゃんには、深く乳首を吸わせよう。

乳首の傷が痛くて、産後はイライラしていた私。リラックスするためにハーブティを飲んでいました。授乳中はハーブティーのクオリティにもこだわりたいところ。安心して飲めるのは、全国で600以上の産婦人科病院でも導入されている『AMOMA』のオーガニックハーブティーです。

『AMOMA』の公式サイトには「ママの物語」というコーナーがあり、母乳育児に悩む女性の実体験を読むことができます。自分と同じ悩みをもつ女性がたくさんいるとわかると、勇気が出ますよ。

⑶ 体を適度に動かそう。オススメは散歩。
産後1ヶ月が過ぎた頃。赤ちゃんを連れて、近所の散歩に行きました。体を動かすと血流が良くなって、母乳も良くでるようになります。

3人産んで母乳について思うこと。

私には現在、子供が3人います。1人目の子育てを振り返ると、あんなに母乳に執着した最初の2週間が正気の沙汰とは思えない。

1人目なら上手に授乳できないのも当たり前。産後すぐは母乳が出ないのも当たり前。

大切なことは赤ちゃん、そしてママの健康。このことを忘れずに、これからも育児していきたいです。



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